ファミリープロミス    ほっ!と一息家族エピソード

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2018年01月11日    ※イラストはイメージです

私のつぶやき

 昨年末、父が永眠した。身体障害者になり10数年間寝たきりの生活。プライドが人一倍高かった父には辛い毎日だっただろう。私は父を失った悲しみよりも、父が辛い毎日からやっと解放される事からか、安堵の気持ちで父を看取った。

 想えば父とは若い時から対立ばかり。一人息子で甘えん坊な私を厳しい社会に適合させるため敢えて厳しく育てた父。父の厳しさには反発ばかりしていたが、当時の協調性がない私が、そのまま大人になっていれば現在の良き妻、子供たちに恵まれた幸せな私はいなかったと思う。

806149.jpg 孫が生まれてからは丸くなり孫を溺愛していた姿が今でも脳裏に浮かぶ。私の娘が父を供養してくれた住職のお布施を自ら進んで出してくれた。父の死を誰よりも悲しんでいたのは、一番溺愛されていた私の娘だったのかもかもしれない。

 「父ちゃん本望だろう。あんなに可愛がっていた孫が、父ちゃんに戒名を与えてくれたんだよ。3月に永眠した母ちゃんと一緒に天国から我が家を見守っていてね」と父の遺影に一人つぶやく自分がいる。

(50代・男性)
posted by ファミリー・プロミス at 10:59 | 「ほっ!と一息家族」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長寿ベッド

 今のベッドで寝るようになって、40年以上。というと、レトロでキ〜キ〜きしむオンボロベッドが想像されるかもしれないが、今でも見劣りしない素敵なベッドだ。重厚なマット2枚重ねで、淡いピンクの花模様が刺繍されている。頭部分はクリーム色の柔らかい革素材で立ち上がり、私の頭を支えてくれる。セミダブルで、一人で寝るには勿体ない程ゆったりしている。当時の父のベッド、母のベッドと比べても格段にいいものだ。

161160.jpg 私は小学五年からベッドで寝ていて、このベッドは3台目。子どもの時はただ寝てるだけでよかったベッドも、大人になると寝心地を追求したくなる。そんな私の訴えを聞いて、社会人1年生となった誕生日に、両親はこのベッドをプレゼントしてくれたのだ。

 何度か引っ越しをしたが、そのたび、このでっかいベッドとマットを連れてきた。多分に引っ越し屋泣かせで、大きくて重いベッドは、大変な時間がかかった。

 古くなったものは惜しげなく捨てる私だが、このベッドだけは手放せない。今でも古さを感じさせないから不思議だ。 とはいえ、役目を果たし過ぎて、マットの角がすり減って、色も褪せてきた。でも弾力はへたっていない。

 このベッドをプレゼントしてくれた両親は足して178歳。働き盛りの両親が奮発してプレゼントしてくれたベッド。両親同様、長生きしてくれている。「よく持ってるね〜」と両親は、わが家に来ると決まってこのベッドを懐かしそうな目で、生きもののようになでさする。

 両親の脳裏にはその時、帰宅した私をサブライズさせたあの日の歓声が去来しているだろうか。大きなベッドに欣喜雀躍した私の23歳の誕生日。若い両親の温かい
笑顔。今もこのベッドで寝られる幸せを思う。大切な両親からの贈り物。

(60代・女性)
posted by ファミリー・プロミス at 10:34 | 「ほっ!と一息家族」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月10日    ※イラストはイメージです

ありがとう、ニャンコ

 二世帯暮らしで自炊していた義母が八十半ばを過ぎると判断や立ち居振る舞いにキレがなくなってきた。六人もの子を育て、畑までこなしてきた面影も薄くなった。本人の希望に沿い出来るだけ長く自立した暮らしを目標に見守ってきた。夫や娘と思案の日々にくれるようになった。

158070.jpg ある日「そうだ」と夫が膝を打った。「猫を飼おう」と続ける。一匹いるのにと思った。「世話焼きを思い出してもらおう」ということで義母専用の飼い猫にすることとした。昔から猫飼いは絶やしたことがないということで、義母も二つ返事で受け入れた。水、食事、トイレ等の世話やきを見守った。猫もなついてそばを離れず起居を共にし出す。

 ひと安心していると、間もなく義母の動きが戻ってきた。かかりつけ医に話をするとそういう例がないわけではない、と言われる。少しでも長く良い状態が続けばと願い、猫の食事の確保にも力が入る。ベランダから菜園を見つめ、夫の作業に助言も出るようになると、とりあえず復活とひと安心する。

 早朝見守りに行くと布団の真ん中で寝る猫をよけるようにして義母が寝ていた。微笑ましい光景に「ありがとう、ニャンコ」と心の中で手を合わせた。

(60代・女性)
posted by ファミリー・プロミス at 16:49 | 「ほっ!と一息家族」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日    ※イラストはイメージです

プライマリー

 実家は貧しかったので、子供の頃はピアノ教室に行っている子がうらやましかった。それに、近所に何でも欲しいものを買ってもらっている男の子がいて、自分の弟が不憫だと感じたことがあった。

 その反動で、私の長女には、ピアノ教室に行かせている。下の男の子はまだあまり物を欲しがらないが、ことあるごとにおもちゃを買い与えているのは、夫ではなく私の方だ。

 長女はピアノが面白くないらしく、家では全然練習しない。長男もラジコンがうまく使えず壁に激突、溝に落ちて、破壊寸前である。ピアノはそういえば自分がやりたかったんだと気が付いて、最近は私が5歳児コースの超初期の本を見て時々弾いている。やっと両手が使えるようになって、誰もが知っているような曲もたどたどしく弾けるようになってきた。

092306.jpg 下手な母親でも一生懸命弾いていると、娘は対抗意識を持つらしく、彼女も練習し始めた。この頃は夕食後に私と娘が片手ずつ弾いて、合わせたりしている。

 息子のラジコンは、私もやってみたら意外と難しかった。これは私が操作してももうすぐ壊滅するだろう。

 子供たちの楽しむ姿を見ていたら、実家の両親は、物やお金はあまり与えてくれなかったけど、いつも私たち兄弟にちゃんと向き合って、一緒に遊んだり話を聞いてくれていたなと思い出した。

(30代・女性)

posted by ファミリー・プロミス at 21:09 | 「ほっ!と一息家族」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月18日    ※イラストはイメージです

恋愛の心得

 来年短大を卒業し就職が内定している息子に彼女ができ交際半年を過ぎた。彼女は短大の後輩であり交際3か月を過ぎた頃より我が家を訪れ、今では会社の寮で生活している娘よりも家にいる時間が長く感じられる程、我が家には馴染んでいる。息子も彼女との熱々ぶりばかり私に聞かせるので「燃え尽きなければよいが」と陰ながら心配はしていたが、ある日息子より彼女との真剣な交際内容を聞き安堵した。

977366.jpg 余りに熱々ぶりに「お互い素の自分を出し切っていないのでは」と心配した私の予想に反し、息子も彼女もありのままの自分を双方だしていた。故に週に2日は口論する事もあると言う。だが口論するたびにお互いを知り絆は深まり愛情は増していった。

 息子と彼女にはお互いに定めたルールがある。「当日の喧嘩は翌日には絶対に持ち越さない」。それを聞いて安心した。「恋愛」と言う甘い言葉に酔いあ互いに自分を取り繕って我慢を重ね、交際を続け結婚に至っても「こんなはずではなかった」と失望して落胆にかられるケースが多い。お互い素の性格を認めあって交際しているのであれば私は応援する。

 私も子供達が成人する頃から恋愛の心得は伝えておいた。「自分と人生を共に歩ける相手と出会えたら、金と時間は惜しむな」と。妻との恋愛で得た教訓だが息子も私の心得を忠実に実践している。息子が短大を卒業し就職して、彼女も再来年卒業しそれぞれ環境が変わる中、更にお互いを慕い愛情を深め将来は共に人生を歩める事を祈る。

 因みに彼女の苗字は妻の旧姓と同じである。偶然だが何か運命も感じている。

(50代・男性)

posted by ファミリー・プロミス at 15:11 | 「ほっ!と一息家族」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シャンプー

 銭湯は母に連れられていつも一番風呂でした。母が髪を洗ってくれる。頭を母の太腿にあずけて目を閉じる。液体シャンプーのない時代で、母は石鹸で洗髪してくれました。その香りと泡立つ様子が気持ちよく、いつまでもこうして母に抱かれていたいと思ったものです。母の指の力加減の心地よさ。

 シャンプーがすむと、今度は体を洗ってくれました。親に庇護されて子どもとは何と幸せな存在でしょう。やがて小さな紙袋に小分けした洗髪剤が登場しました。でも濡れた手では開けにくいし、使用後はゴミにもなる。母は専ら石鹸を好んで使っていました。

544787.jpg 先日、温泉で母と一緒に入浴していた時、母がちょっと頭を洗ってほしい、と言ったのです。まだまだ元気と安心していましたが、洗髪はしんどいらしいのです。丸くなった背中を流すことは幾度かありましたが、シャンプーは初めてでした。ああ何と小さくなった母の頭。手の平で包めそう。ボリュームがあって黒々していた母の髪が、こんなに弱々しいのに改めて気付かされたのです。

 若い母が私の体や頭を洗ってくれた日が夢のように遠くなっていました。長い長い歳月が流れていたのでした。母の髪を洗いながら、銭湯で石鹸をたっぷり泡立てて洗ってくれた元気な若い母を思い出しながら、目が熱くなりました。

 「ああさっぱりした、ありがとう」と母がにっこり笑いました。ああ、なんと幸せな瞬間でしょうか。

(60代・女性)
posted by ファミリー・プロミス at 15:00 | 「ほっ!と一息家族」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月11日    ※イラストはイメージです

覚えなくっちゃ、花の名

710494.jpg 孫を伴い公園に向かう途中、道の端に花びらが落ちている。比較的丸くピンクで厚ぼったいから「つばき」と教えてやった。続いて少し細長い赤みを帯びた花びらでは「さざんか」と教える。そのたびに花びらを拾い香りを嗅いだあと、摘まんだ手を伸ばして花びらを放ち舞わせる孫のしぐさが可愛い。

 公園に着くと、「リンドウ」「パンジー」などと指さされるたび答えてやる。ところが孫が真似て口にするたび娘の顔が真顔になってゆく。そして「私も覚えなくっちゃ」と言い、孫と一緒に口にする。娘の子育ての手法でもあるとみた。その上で、子育てで忙しいし、所が変わってあまり見かけない花もあるからそんなに悲観することないと慰めるが、そうはいかないという表情でいる。

 それなら、とまだ実をつけている「ムラサキシキブ」をはじめ、「のぎく」など見かけるたび合唱になった。もちろんうろ覚えのものは宿題になるが、孫と娘の顔つきは若干違うのに気づく。でもそれはそれで楽しい。

 今度来るときは図鑑を持ってなどと話が弾む。孫の興味が移るたびに改めて覚えなければいけないものもある。人の子の親ってやっぱり大変だと改めて思う。

(60代・女性)

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2017年11月23日    ※イラストはイメージです

紐落とし

 我が家の双子の長男と次男が紐落としを迎えた。双子で、早産だったにもかかわらず3キロ越えで生まれた2人。飲まない、食べない、の心配は一切したことがなく、すくすくと成長し、節目の検診ではいつもわずかに体重オーバーと言われていた。

 現在も3歳半で4歳児の平均身長、平均体重。喧嘩もするけれど、じゃれあって朝から晩までべったりしている。そんな2人の晴れの日。真新しいスーツにネクタイ。初めてのヘアムース。

09d9ca8092f8015c0d8c5a21a1e0c5b0.png 大きく生まれたとはいえ、同時に2人を育てられるか心配だった3年前、目の前のことをこなすだけで精一杯で、少し先の未来も考える余裕がなかった。健康で優しい心を持って、この日が迎えられた幸せを、これからも忘れないようにしようと思った。

(30代・女性)
posted by ファミリー・プロミス at 13:36 | 「ほっ!と一息家族」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月08日    ※イラストはイメージです

結婚25周年

024198.jpg 今年10月25日私たち夫婦は銀婚式を迎えた。初めて妻と出会った日が昨日の様に思える。二人の子宝にも恵まれ幸せな毎日が遅れているのもみんな妻のおかげ。

 私の両親の介護問題。定年まじかで私の不摂生からきた心臓病の影響で管理職として定年まで勤め上げる予定だった会社を去年初旬体調を崩し退職。暫く静養し現在は健康も回復し非正規として再就職したが年収は管理職時代の半分以下。

 結婚20周年あたりから決して順風満帆な生活が送れなかったが、妻は黙って私に付いてきてくれた。妻のサポートで私の心配事も両親の諸問題ばかりで家族の心配をした事がなかった。子供も素直に育ってくれた。本来なら感謝の印に妻が憧れた海外で家族揃って銀婚式を祝いたかったが諸般の事情から、また我が家の稼ぎ頭娘主催で銀婚式を祝った。

 私の大好きな沖縄にいるのかと思わせてくれる店の雰囲気に酔い、家族の笑顔、娘の心配りが嬉しく本当に楽しい銀婚式だった。息子も来年は就職だ。今度の金婚式には娘の家族。息子の家族もそろい大人数で祝いたい。その為にも健康には気をつけて夫婦ともに楽しい老後が過ごせるよう頑張りすぎず働き続けていきたい。

(50代・男性)
posted by ファミリー・プロミス at 11:49 | 「ほっ!と一息家族」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

菓子パン

 幼い頃、我が家にはうれしい習慣があった。朝食が2カ月に一回くらい、菓子パンになる。そんな朝は、母と一緒に菓子パンを買いに行く。

906010.jpg 店はごく小さかったが、今でいうコンビニだろうか。昭和三十年代の始めである。主に野菜を売っていたが、小さなショーケースに、多くはない菓子パンが並んでいた。あんパン、クリームパン、ジャムパン、チョコレートパン・・当時は今のベーカリーみたいに種類はない。全種類を揃えて、紙袋にどっさり入った菓子パンを抱えて帰るうれしさが思い出される。

 菓子パンの朝食なんて、手抜きのように思えるがそうではない。母はパンの一つ一つを切って、おいしそうな切り口を見せて大きな皿の上に上手に盛り付けた。朝一番の菓子パンはふわふわしていて、中身の香りがおいしそうに漂ってくる。菓子パン朝食を皆大満足でぺろりと平らげた。贅沢な朝食なのだ。

 俳人の坪内稔典さんが大のあんパン好きで、1年に四百個は食べている、と何かで読んだ。正岡子規も毎日菓子パンを食べていた甘党だったらしい。森鴎外も、饅頭を御飯に置いてお茶漬けしたというびっくりするような逸話の持ち主だ。明治人間達の想像を絶する甘党ぶりに驚かされる。

 そういえば、祖父も自らぜんざいをよく作っていて、「辛いくらい甘い」味だった。饅頭もよく頬張っていた。今生きていたら豊富な菓子パンによろこぶことだろう。

 今は両親とおやつタイムに時々菓子パンを頬張る。遠い日を思い、重ねた年月を噛み締めて・・・。

(60代・女性)
posted by ファミリー・プロミス at 11:37 | 「ほっ!と一息家族」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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