「国際ファミリー」エピソード - ファミリープロミス    ほっ!と一息家族エピソード

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2013年06月10日    ※イラストはイメージです

国際結婚の恩恵

 このエピソードは平成25年度「国際家族デーキャンペーン」において「国際ファミリーエピソード」部門に投稿された作品です。 ⇒キャンペーンサイト
 「ほっ!と一息家族」のエピソードとはまた一味違った内容ですが、一息入れて、しばし国際ファミリーのエピソードでグローバル感を味わってください。

中村夫妻.jpg 私が生まれ育った東京葛飾区奥戸は、昔は韓国の方が沢山暮らしていた村でした。母方祖父は在日韓国男性と美人の日本女性の結婚をとりもったり、在日の方を我が家に招き仲良く飲食共にしていたと母から聞きました。

 主人は韓国・安東(アンドン)という昔は貴族王様が沢山暮らしていたという韓国の伝統的で高貴な方が住む所で生まれ育った方です。主人は韓国へ嫁に来た日本女性の姿に感動され、日本女性と結婚したいと思い、お見合いを申し込みました。

 私は、宗教的な感性が一致した人ならどなたでもと思い結婚を申し込みました。結婚する3年前に夢をみて、「未来のあなたの結婚相手の男性は韓国人で祖国の為に尽くされた方の子孫」と夢の中で声が聞こえ、雪が降る中でスーツを着た男性が立っていました。

 3年後夢に見た男性と出会い結婚しました。しかし、外国に行った事のない両親は、私が国際結婚する事を心配し、父はさみしさから反対し、母は心配しすぎで円形脱毛症になってしまいました。

 婚約者にそのことで相談すると「美智子さんのご両親を愛します。私が日本へ行きます」と言って下さり、仕事を辞めて日本で私の両親と同居して下さる事になりました。夫の深い愛情に我が家は感謝してやみません。

 夫は留学で3年間、仕事でも日本に来ていた方で、日本語が上手な方でした。結婚して15年、親子三世代で仲良く楽しく暮らしています。私の両親も私も、ますます韓国が好きになり、韓国へもたびたび行きます。両親は韓流ドラマにはまり、よく観ています。

 テジャングンが大好きな母は、テジャングンの王様役の俳優よりも、美智子の旦那さんの方がいい男だ!とほめてくれます。父もこんなうるさいじいさんの話を聞いてくれて美智子の旦那はいい男だ!とほめてくれます。

 一人息子も、「おばあちゃんが日本にいるから僕も日本にいるし日本が大好きだ。おばあちゃんの味噌汁が一番、次はおじいちゃん、その次はお母さん、次はお父さんのがおいしい」というのです。息子を通してあらためて国際結婚の恩恵を感じています。
(40代女性)

posted by ファミリー・プロミス at 17:12 | 「国際ファミリー」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月01日    ※イラストはイメージです

We are Happy Famiiy !

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3.jpg 私の夫は、マレーシア人です。1993年8月、マレーシアで結婚生活をスタートし、三人の子供に恵まれました。しかし、長女と長男に障害があることが分かり、将来の事を考えると日本に帰ったほうがいいと思いました。

 一年間、夫婦でずっと悩みましたが、日本に永住する事を決意しました。2001年5月、私が住む松山市で再出発する事になりました。主人の仕事を探そうとしましたが、片言しか話をする事ができないなど、ハンデが多く、ようやく見つけたのは、一月3万円の新聞配達でした。

 私の実家は、農家なので、農繁期は朝からとても忙しく、主人が朝の新聞配達から帰ってからも仮眠を取ることなく、そのまま農作業をする事もあります。とても疲れて大変だと思いましたが、今まで、一度たりとも不平不満や両親の悪口を言ったことはありません。主人は、両親を早く亡くしたので、私の両親に親孝
行できると喜んでいます。

 JA(農協)が毎日発行している雑誌がありますが、まだ、子供達が小さい頃、取材に来られて皆でスイカ畑で写真を撮ったことがありました。それが表紙になり、父のコメントが「娘夫婦が孫を連れて戻って来てくれて嬉しい!!にぎやかになり元気が出てきた」とあり、私たち夫婦も幸せに感じました。

 その父も昨年12月に亡くなり、母、主人、私の三人で農業をやらなければなりません。日本に帰ってきて、12年目を迎えようとしていますが、農業に関しては、私達夫婦はまだ素人です。でも何よりも主人が引き継ぎたいと願っているので、私も頑張って支えてゆきたいです。

 母と主人は、作業の合間に腰をおろし、たわいもない事を話しています。子供たちも社会人、高3、中3とすっかり大きくなりました。12年間は、決して順風満帆ではありませんでしたが、国際家庭の難しさをつくづく感じながらも心情の幅を広げて相手を思いやらなければいけないことをも覚えました。

 毎日忙しく、笑いの耐えない家庭です。私は、夫と子供達を心から愛しています。

(40代女性)

posted by ファミリー・プロミス at 19:54 | 「国際ファミリー」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月23日    ※イラストはイメージです

我が家の救世主はドイツ人!

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German.jpg 主人はドイツ人です。結婚当初はドイツに永住する予定でしたが、私の両親がそれぞれ身体を壊し、帰って来て欲しいと頼まれました。

 それで、1階に両親が住み、私たち夫婦が2階に住む半同居が始まりました。ところが、主人が田舎でなかなか仕事が見つからなかったり、主人の日本語が上達しない事とかに、両親が苛立ち始めました。

 ご飯を食べないで、おかずだけ食べてしまう、自分からは何も話そうとしない、などなど。しかし、言葉の問題も簡単ではありません。主人も一生懸命勉強していたのですが、年配の人が話す口語日本語を理解できるには、相当な時間が必要でした。

 また、自由に気持ちを話せる相手が、私しかおらず、ドイツ語を話すことを禁止してしまったら、主人は誰とも話が自由に出来なくなってしまいます。両親は毎日のように私に主人のことを訴えてきましたが、主人は何も言いませんでした。

 そうこうしているうち、父は病気で亡くなり、母は2回の骨折を乗り越えてまた何とか歩けるようになっています。その病院の送り迎えはすべて主人がやってくれました。

 今の時代は、年寄りと食事をするのを嫌がったり、家族の間でも同じおかずをつつきあうのを汚がったりしますが、主人は父の残したお弁当をきれいに食べてくれたり、両親のことを嫌がらないのです。私でさえ、時にはヤダなあと思うのに。

 父も最後の頃には、主人のことが大好きになってしまい、私よりも信頼し、頼っていました。何か美味しいものがあれは、アルノに食べさせろ!何か良いものがあればアルノに上げろ!アルノ!アルノ!になってしまいました。

 家の改装、庭の剪定、粗大ごみの処理、面倒臭くて大変なことはすべて主人がやってくれました。母も今では、アルノは我が家の救世主と呼んでいます。

 主人はすべての難しい内容を無言で乗り越えてくれました。これからさらに主人に感謝して大切にしてゆきたいと思っています。


posted by ファミリー・プロミス at 15:30 | 「国際ファミリー」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月22日    ※イラストはイメージです

ロシアの家と日本の家

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photo_img117838.jpg 縁あって、ロシア人の妻と一緒になって、10年目になります。8歳の娘、4歳の息子と4人で東京都足立区で生活しています。

 先日、引越し先の家捜しをしていた時のことです。不動産屋さんから紹介された部屋は、小奇麗で生活環境も整っていて、私にとっては申し分ない部屋でしたが、どうも妻は納得がいかない様子。

 「どうしたの?」と妻に聞くと、「天井が狭い」「キッチンが小さい」というのです。そう言われると、ロシアの家に行ったときには、たしかに造りがすべてビッグサイズでした。キッチンもかまど風オーブンが標準でついてたり、食器類もティーカップが主食のスープが飲めるぐらい大きかった。

 それはロシア人が大きいから。男性は大概長身だし、女性でも私より身長が高い人の方が多かったです。妻自体はわりと小柄ですが、そんなロシアから来たら、日本の家は少々息苦しく感じるのもしかたありません。次々と部屋をダメ出しして不動産屋さんを困らせながらも、ようやく納得できる部屋と巡り会うことができました。

 都内で、なんとリビング20畳。天井も高くて、ちょっとした集会場並です。住み始めて2週間になりますが、限られた予算の中で、よくこんな部屋があるものだなと今さらながら驚き、感謝しています。

 環境も性格も豪快な大国ロシアから、環境もコミュニケーション法も繊細でデリケートな国、日本に移り住んで、「なんで日本人ははっきり言葉で表現してくれないんだろう」と様々苦労している妻と共に暮らしながら、せめて家の中だけでも、ロシアの香りが漂う安心できる空間にしてあげたいなと感じています。

 とはいえ、まだ家のなかが片付いてないので、写真は自宅ではなく引越し記念のレストランにて^^;
(30代男性)
posted by ファミリー・プロミス at 15:19 | 「国際ファミリー」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

信頼・愛・願い

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DSCN3007.JPG 私は中国から日本に嫁に来て13年目になりますが、毎日新しい発見があって新鮮に感じます。

 主人は日本人でサラリーマン、私は中国人で専業主婦です。結婚しても仕事を続けるのが当たり前の中国とは違って、日本では夫は仕事、妻は家庭という伝統が根深く残っているように感じます。

 長男が生まれてから、仕事をしようと思ったら、主人は子どもが3歳になるまでは母親が傍ついていなければならないと言って賛成してくれませんでした。二人目が3歳になるころ社会復帰しようと思ったら、年齢と国籍が原因で正社員の仕事は見つかりようがなく、がっかりしたことを覚えています。

 だからといって、家にこもりがちだと憂鬱になってしまうので主人の協力の下、私は子どもの幼稚園の幹事の仕事を引き受け、子どもが小学校に上がってからはPTAの役員もやりました。最初は周りの日本人の方々がどんな目で見ているだろうかと気にしていましたが、誠心誠意頑張ったことが認められ、応援してもらえるようになり、前向きに交流できるようになりました。そしてたくさんのママ友達ができました。今は好きな公文教室でスタッフをやりながら、趣味の翻訳通訳の内職もやっています。

 夫婦の間でも家庭を持ったばかりのころは、箸のおき方一つで(中国では箸を縦に置く)もめましたが、今はお互いの文化の違いを認識し、夫婦間の対話を重視して毎週土曜日、自称「反省会」を開いて、お互い感じたことや気づいたことを話し合って、交流を深める時間を欠かさず設けています。

 「子どもの前では喧嘩をしない」のが鉄則なので、一方が感情的になった時には「反省会で」と思って、もう片方が冷静に対応しています。今や、反省会が楽しみになっているぐらいです。

 「3・11」の震災を通じて多くの方が家族の絆について見直していると聴いております。家族との平凡な一日が幸せで感謝であることを忘れず、私たち夫婦は息子と娘にに「パパとママの子どもに生まれてよかった」と言われる善い親になるために日々奮闘しています。
(40代女性)
posted by ファミリー・プロミス at 00:47 | 「国際ファミリー」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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