「ほっ!と一息家族」エピソード - ファミリープロミス    ほっ!と一息家族エピソード

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2019年09月14日    ※イラストはイメージです

夏の終わり

528669.jpg子供の夏休みが終わった。

今年の夏は、なんだか例年に比べて長かった。

そう思うのは、子供が学童保育に行きたがらず、毎日家にいたからだ。

子供同士でも、女の子は色々あるらしい。

元々仕事の無い日は学童保育を休ませて子供と遊んでいたが、今年は私が休みでなくてもどうしても行きたくないと言う。まだ小学2年生だから家にひとりと言うのは心配すぎる。

かといって学童保育は義務ではないから子供に無理強いしたくない。

私の仕事の日には実家にお願いしたり、友人と協力し合ってやりくりし、なんとか夏休みを乗り切った。

海に映画、キャンプ、プール、お買いもの。思いつく場所は大抵行った。その都度へとへとになるまで一緒に遊んだ。

娘や娘の友人の会話はいつの間にか大人びていて、聞いていると立派な女子だ。保護者と言うより友人気分で私まで若返った気分になる。

長い夏休みがとうとう終わって、やっと私の休める日が来た。

ゆっくり過ごす時間をあんなに熱望していたのに、いざ来ると、なんだかさみしい気がするのが、不思議である。

(30代・女性)
posted by ファミリー・プロミス at 10:54 | 「ほっ!と一息家族」エピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キャリアを捨てゼロから

375916.jpg 前職から再就職をして2年8か月。私はまた新しい職につく事となった。仕事が熟練するにつれ効率が上がり入社時は1日かかった仕事量が半日で終わってしまい、一日のノルマの終わった私は帰る訳にもいかず、些細な仕事を自分で見つけ1日を過ごす。前職の様に仕事の流れを自分で決められる立場でもなく、仕事が熟練するにつれ、一日の自分のノルマが早く終わってしまう悪循環。

 自分の性格上仕事量と時間を調整する事も出来ず、経験者で年長の私に上司からは仕事の指示もなく仕事のモチベーションは下がる一方。将来を期待され生き生きと仕事の話をする子供達を見ると羨ましかった。

 61歳にもなり、熟練した現在の仕事を年金が貰えるまで続けた方が賢明な生き方かもしれないが、キャリアを捨てゼロから新たな仕事に挑戦するのも子供たちの様に充実した毎日が送れると思い新たな職場に試験、面接を受け内定を貰い、会社に一身上の都合で退職届を出し慰留されたが私の後任が決まるまで働く事で円満退社をする事が出来た。

 新たな会社で研修を受ける。覚える事が沢山で不安と期待が入り混じっているが、新人として又仕事に対してモチベーションが上がってきた。家族からは「がんばれ」と励まされ、これから第三の人生頑張ります。

(60代・男性)
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苦心の輪、広がれ

124375.jpg 小さな家庭菜園をやっている。トマト、キュウリなど自分で育てたものを毎日味わえる喜びが夏にはある。が、今年は日照不足と日照りが交互にやってきたために育て方が難しく収穫しても味が今一つだ。さらにカラスの急襲が目立って盛んだ。そこでいつもの色物のテープ張りや網掛けに加えて適所にトゲのある材料を置くなどしたらようやく遠のいた。

 こんな苦労話を道で立ち話していると、突然窓が開いて「いい話を聞いた。さっそくうちでもやってみたい。うちの菜園を見てくれ」と声をかけられる。菜園をしている方と知らなかった家だが、やはりカラスには苦労していて、見つけると窓を開いて「パン」と手を叩く方法で防いでいたと言う。早速三人でテープや網の張り位置のほか、止まりそうなそこここにバラ線を張ったらよいかもなどと話が弾んだ。

 さらにあそこの家でもやっている、などの情報も得られ、たまに情報交換会をしよう、昼食会を兼ねてということになった。カラス対策のほか、味をよくするもっと良い方法があるかも、肥料や水遣りは、などと期待が膨らむ。家に戻って夫に話したら「僕も」と言う。確かに協働作業者だが「ここは女子会で、でも将来的にはありかも」ということにした。広がりが楽しみになってきた。

(60代・女性)
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母の来訪

1442881.jpg あれは28歳の時。母と意見が合わず家を飛び出した。母は重い心臓病で階段を上がるのもやっとの体。それを思うと気がかりだったが、どうしても一人になりたかった。でも母の体を思うと遠くへは行けず、家から車で15分の所にアパートを借りたのだった。毎日家の様子を伺い、明かりがついているのを見届けると安心した。

 家を出て2カ月くらい経った頃、思いもかけず母から電話がかかってきた。「どうしてるの」と、声を荒らげるでもなく、落ち着いた優しい母の声。あいにく私は体調悪く寝込んでいて、電話に出るのもやっとだったが、母の声に言葉が詰まった。私はすぐ母に甘えて、体調が悪いことを告げた。「気を付けるのよ。無理しないようにね」と言われて電話を切った後、私はうれしくて布団をかぶって泣いた。

 それから二時間くらいしてドアを叩く音。立っていたのは二カ月ぶりに見る母だった。心配して、電車に乗って探し探しやってきたのだ。医師から心臓手術をすぐにもやるように勧告されている重症の母が。

 家を飛び出した私なのに、そのことは言及せず、ひたすら娘を案じてやってきてくれた母。その夜は、小さな布団で一緒に寝た。母の丸くなった背中を眺めながら、決心した。家に帰ろうと。

 その後、母は心臓手術を受け成功した。

(60代・女性)

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2019年08月10日    ※イラストはイメージです

息子の独立

 息子が独立した。婚約者が県の職員となり赴任地が自宅から遥か遠く高速で1時間半の場所。息子は婚約者の通勤距離緩和の為、独立の道を選んだ。まだ結婚前の同棲。私世代とするとふしだらな感がするが、息子の理路整然とした同棲理由、婚約者の両親も承諾している事から私も同意した。

 息子が私の許可を得てから僅か2週間で部屋を借り家財道具を揃え引っ越しの日を迎えた。婚約者の父が引っ越しの当日手伝いに来てくれ引っ越しは無事完了した。息子は私に似て思い立てばすぐに実行。この短い期間で部屋を見つけ不動産屋で契約。休日もない中。時間を惜しんで目標を実現していく。あの幼かった息子も大人の男になったと認めた。

 妻と仕事の休日が一緒の日。息子と婚約者が住む部屋を訪問した。2人とも幸せそうだった。本当に。家では家事は何一つしない息子が家事を分担している。料理を作る度に携帯に画像を送ってくる。息子は職人気質で気難しい性格。それをうまく操縦している婚約者。本当にお似合いだ。今年公務員となり仕事が落ち着いたら籍を入れると言う。早く孫の顔が見たい。

 息子がいなくなり妻と二人の生活。静かで新婚時代に戻った様だ。あのエネルギッシュな二人に負けない様、私たち夫婦も仲良く暮らしていきたい。

(60代・男性)
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教えちゃった、ハグ

 孫にハグを教えた。嬉しいとき、喜びを分かち合いたいときにする仕草として最高のものだという言葉を添えて。分かった、というから試しにということで、こうだねと軽く上体を接触させ、両腕で相手の体をそっと包み込むようにと教えながら三度四度と試しにやってみるとすぐに飲み込んだ。

 ところがその後一週間過ぎても、二週間が過ぎても何もしてくれない。さては照れ屋さんなのかと思って「ハグは?もう忘れてしまったの?」と聞くと「嬉しかったこと、とくになかったから」とあっさりと言う。せっかく教えたこともあり、もったいないことと思った私は「こうして元気に、笑顔で一日を終えることが出来ているじゃない、それって素晴らしいことじゃない?」と少々屁理屈気味の言葉を投げかけ「だからハグ」と言うと、「分かった」と言って応じてくれた。

 けれども無愛想に突っ立ったままだったので「もう少し腕に力を入れないと気持ちが伝わらない」と教えるとギュッとしてくる。これで孫に本当に大きな喜びがあった時のことを思うと少しワクワクする。ハグを教えたこと、もちろん娘夫婦にも伝えた。

(60代・女性)

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初めての飛行機

 初めて飛行機に乗ったのは、大学入学祝いに両親と三人で九州へ家族旅行した50年前。旅行会社も数少なく、知り合いが経営する小さな旅行会社でコーディネイトしてもらい、宮崎と鹿児島を回る二泊三日の旅。機内で私と母はシートベルトがうまくできず、見かねて隣のおじさんが教えてくれた。

 当時の南九州は新婚旅行のメッカで、青島、霧島、指宿、長崎鼻、池田湖、サボテン公園、鵜戸神宮・・どこも新婚カップルばかり。

 十八歳の私はこの旅で初めてハイヒールをはいた。今でこそラフな恰好で旅をする人が多くなったが、当時の旅は精一杯めかしたものだ。まして飛行機に乗るとなれば一張羅を着込む。両親共々私もスーツを着込んでいた。入学祝いに母が選んでくれたスーツだった。

 帰阪の日は昭和44年4月4日、4という数字が4つ並び、縁起かつぎの母はいやがった。何事も起こりませんようにと祈り続けた甲斐あって無事に着いたが、帰宅してテレビを見て仰天した。私達の次に着いた飛行機がオーバンランして空港の草むらに突っ込んだというニュース。家族で胸をなで下ろした。

 忘れられない初めての空の旅になった。

(60代・女性)

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2019年07月13日    ※イラストはイメージです

オリンピックチケット当選

 オリンピックのチケット応募に私以外の家族は祈りを込めスマホに応募していた。私はスマホの操作が不慣れで娘に依頼した。種目も娘任せ。私は混雑している所が苦手なので正直言うと無関心。チケットの当落発表も家族は待機者多数だが待ち続けたが皆応募したチケットは落選した。息子は当たれば奇跡だとラインで怒りを爆発させていた。

 一番無関心な私は、当然待機者多数の当落発表も待たず落選は確実だろうと思った。そんな私のスマホにメールで当選通知が来た。え一番無関心な私が当選?目を疑ったが確かに当選通知であった。総て落選し落胆する家族に私のチケット当選を伝えると「一番興味のない人に当たるんだね」と妻から言われ、息子はまさかの奇跡に「やった一生の想い出だ」と喜んでいた。

 息子が購入手続きを済ませチケット代金も支払ってくれた。これで家族4人オリンピックを生で観戦できる。

 当初無関心だった私も家族が喜ぶ姿を見て興奮してきた。もうじき息子も結婚し独立する。これが最後の家族旅行となるだろう。私の当選は神様の悪戯だろうが、世界を代表する選手が熱戦を繰り広げる4年に1度の大会。一生の想い出にしたい。

(60代・男性)
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役立ちあい

 門柱の郵便受けを覗いていると、顔見知りの主婦が通りかかった。目が合うと「主人が定年退職し、その後ずっと手持無沙汰にして家でごろごろしていて困る。健康にも良くないし、どうしたものか」と話しかけてきた。悩んでいるようでも一種ののろけ話だろうと思い、聞いてあげればすっきりすると思っていた。

 ところが一区切りすると「お宅ではどうか」と真顔で尋ねてきた。「朝起きるのがもともと早いので朝食づくり、家庭菜園、風呂掃除そして朝食の具材の買い物かな」と話すと、「それでは私の仕事が半分になってしまう」と言いながら玄関先の落ち葉の話を口にした。せめてそれくらいの片づけはやって欲しい、と言いたいらしい。

 「そうね」と言いふとわが家を顧みると、垣根を含めいつもすっきりしている。すぐに夫のおかげと思った。口にださずともさりげなく手をかけ気持ちよい環境を整える。そういう暮らしの在り方もあってよいと思った私は「他に目に見えないところでやってくれているものがあるのでは」と投げかけてみた。

 すると思い当たることがあったのか「そうね」と言い少し落ち着いた表情を見せた。ふと「役立ちあいね」と口にすると「それそれ」と言い、「話し合ってみる」と笑顔を見せた。よかったと思った。

(60代・女性)

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ビッグなプレゼント

 生命保険に関心はなかった。日本人の90%以上が生命保険に加入しているというデータがあるが、私は人ごとだった。死ぬ事や病気になったことを想定すること自体、縁起でもないから考えたくない。それに体には自信があった。入院なんてすることもないだろう。

 ところが、我が意に反して30代半ばに突然の入院を経験してしまった。十日間の入院生活。退院時に計算書を見た時はびっくり。

 帰宅すると父が言った。「保険がきくだろうよ」。そうだった。思い出した。この入院の一年前、父から思わぬプレゼントがあった。それは「いつまでも若くないぞ」と言われて手渡された私の終身保険証書。入院手術特約が付いていた。私はありがたく頂戴したが、証書を念入りに見ることもなく引き出しの奥にしまい込んでいた。必要とするのは遠い先のことだと・・。

 父が贈ってくれたこのプレゼントのお蔭で、大いに助かった。感謝でいっぱいになった三十年前の秋。今の私は年々体力に自信がなくなり、今になって年々このビッグな父からの贈り物の存在感が増している。

(60代・女性)
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2019年06月08日    ※イラストはイメージです

親孝行な娘

 妻不在の時間、娘から相談があった。「母の日にお母さんを旅行に連れて行きたいけど、どこが良いと思う?」。そこで私は妻と初めて宿泊した温泉を提案した。伊豆にあり海と露天風呂が融合した想い出の温泉。子供が生まれてから一度も行っていないのでお母さんも喜ぶと思う。その提案を娘は受け入れ早速旅行会社に行き予約を入れてきた。
 「お母さんには内緒でね」と娘が言う。「本当に親孝行な娘だね」と私が感心すると「私も行きたいから」と娘は照れた。旅行当日は妻に行き先を知らせないサプライズ旅行。妻はどこに行けるのか楽しそうだった。辿りついた場所は私と初めて宿泊した温泉。娘が招待してくれた事に妻は感無量だった。
 仕事が定年となったら私も行きたい。若き頃の想い出に浸りながらゆっくり温泉を妻と楽しみたい。
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助かる、もらい上手な方

 「周りがもらい下手な人ばかりで困る」と娘が電話で嘆いていた。「好みがあるから」と応じても、「そうは言っても」と諦めきれない様子。子が生まれた家への服のお裾分けの話だった。それから数か月後猛暑が続く中、出かけられないから家でやることを見つけないと、という話題の中で、トマトなど種から苗を育て移植しながら手間かけてやっている話をすると「それいいかも」ということになった。
 小さな菜園なので苗が余っていると話すと口を合わせたように頂戴と言う。実は処理に困っていたので手を上げた三人に早速あげると口コミで数人から要望があったので応じた。どの家もプランターでするので数本ずつだったが大分片付いてホッとしたとき、もらい上手な人たちに囲まれていてよかったと思った。
 小さな苗とはいえ生き物、それが余ったからといって簡単に捨てられないのが昭和に育った私たち。ちょっぴり人助けをしたような気持ちにもなり、ようしこの次もという気が湧いて励みにもなっている。そうか、もらい上手ってこうして人を幸せにするものなのか、と思い、この間のこと確かに、と娘に電話し肯き合った。
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栗饅頭

 洋・和菓子とも多様になった今、栗饅頭はちょっと地味な存在かも。楕円形ながら栗そっくりの色と光沢の栗饅頭を見ると、遠い日が蘇る。             
 当時母には独身のSさんという親友がいて、月に1回は訪ねてきた。小学校から帰宅して玄関に素敵なハイヒールが並んでいたら、「あ、栗饅頭が来てる」と思ったものだ。
 案の定、キッチンには栗饅頭の箱が置いてある。私の気配を察知して、母よりも早くSさんが呼ぶ。「お帰り。お邪魔してますよ。栗饅頭一緒に食べましょう」。母が顔を出し、栗饅頭を客室に運ぶ。そして3人一緒に栗饅頭を頬張る。
 Sさんの手土産が栗饅頭以外に変わることは、一度もなかった。
 母とSさんの家を訪ねたことがあった。Sさんが帰宅するまで彼女の母親が応対してくれたが、その時「あの子はいつも栗饅頭をお持ちするでしょう。本当にすきなんですよ。どこに行くにも栗饅頭で、たまには変えなさいと言うんですが」と言うので、私はおかしかった。
 Sさんはいまも栗饅頭を元気に頬張っているかしら。栗饅頭を見るたび若い母やSさんが思い出されてくる。
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2019年05月11日    ※イラストはイメージです

諦めない

 昭和初期の母が着ている可愛いセーターやアップリケの付いたスカート、帽子は祖父の手作り。祖父は器用だった。

 植木の知識はプロ級で、盆栽も剪定も手がけた。さつま芋に朝顔の花を咲かせたり、いろんな植物の接ぎ木をした。フクロウやメジロを捕獲してきて私に観察の機会を与えてくれた。昆虫採集なんか、さっさと手伝ってくれた。新聞紙を煮つめて粘土様にしてくれ、粘土細工を楽しんだことも。夏の昼寝用ハンモックも作ってくれた。

 日本自体が貧しかった時代にあって、祖父は工夫の人であり、大いなる知恵の持ち主だった。仕事の合間に大工もこなし、神棚、ごみ箱、縁台、卓袱台、水屋と何でも作ってしまった。

 母がいまだに興奮気味に語るのは、祖父が自動車まで作ってしまった事。子どもの母を乗せて走ったという。村人は感嘆し、大勢が見に来た。母はその車で学校まで送ってもらい、大騒ぎになって恥ずかしかったという。世が世なら、マスコミに取り上げられ一躍有名人になったことだろう。

  祖父の好奇心は果てしなかった。私が生まれる前には、役者の経験もあり、女形姿の写真はまっこと美しい。

 幼ない時に見た祖父の大学ノートには英単語がびっしり並んでいた。学歴はないのに、不思議と英語ができた。英単語の一つ一つを、幼い私に教えてくれた記憶が蘇る。

 そんな祖父が脳卒中で倒れ、身体の自由を奪われ、言葉もうまく発声できなくなったのは六十代半ばだったろうか。今の医学と違い、リハビリもない。動かしてはダメという時代。話好きで、毎日のように近所の人々を招いて、南部鉄瓶でお茶をもてなしていた祖父。言葉をなくした悲しみはどんなに大きかったことだろう。おまけに体も動かない。祖父は言葉が伝わらないはがゆさを笑いに変えていた。本当はとても辛かったはずなのに、私達まで一緒になって笑ってしまうこともあった。

 そんな体になっても、やりたいことが頭を駆け巡っていた。時折、床を這い出して杖をつきながら、気の遠くなるような時間をかけて縁台を作り始めた。家人がやめるよう言っても、ただ笑いながら、不自由な手足で危なっかしく作業を続けていた。1年もかけて、素晴らしい縁台が出来上がった時、家族は感動して言葉がなかった。祖父はへらへら笑って、自ら作り上げた縁台に腰を降ろした。言葉が喋れていたら何と言っただろう。「ほら見ろ、心配するな。こんな体でもできるんだ」・・。

 祖父の体調は徐々に悪化していったが、震える手で、自伝を書き始めた。その字は年々読みづらくなっていき、とうとう鉛筆を持てなくなった。その後は私が口述筆記をしたが、聞き取りだけで時間を費やし、祖父にとっても私にとっても根気のいるものだった。祖父の人生記録は、明治から大正と移った辺りで中断した。もう口述すらできなくなっていたのだ。

 祖父は79歳で眠るように亡くなった。教えてくれたことは、あくなきチャレンジと好奇心、いつも前向きなこと。寝たきり生活10年余りでも、笑顔の方が多かった。そして最後まで何かをやり続けた。諦めなんて、祖父の辞書にはなかったのだ。

(60代。女性)
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スマホデビュー

477892.jpg ついに私がスマホデビューした。娘がスマホを買い替える時、妻が同行しガラ携からスマホに買い替えた事で、家族でガラ携は私だけとなった事やガラ携のカメラも壊れた事から私もスマホに買い替えた。

 子供たちがラインでスタンプやら写真など色々送ってくるがパソコンだとどんな長文でも容易い私が馴れないせいかラインを10文字返信するのに5分もかかるので、ラインを返す煩わしさを感じていた。

 そんな時娘が私のスマホに沖縄旅行や箱根旅行の写真や動画を転送してくれた。楽しかった旅行の想い出、記憶が蘇る。こんな機能も付いているのか。自由自在にスマホを操る子供たちに負けないように私は現在スマホと友達になれる様努力を続けている。

 呼びかければ「何でしょう?」答えてくれるし携帯電話、パソコン、スマホと時代ごとに便利な世の中になった。このスマホにはこれから家族の楽しい想い出がどれだけ記憶されるのだろうか?カメラとアルバムを同時に持っているようで今から楽しみである。

 昭和、平成、令和と年号も変わり私も時代に乗り遅れない様に頑張っていこう。

(60代・男性)
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作戦にかかったかな

562075.png タブレットに動画が入ってきた。孫が子供自転車にまたがり颯爽と漕いでいる。かなりスピードが出ているはずなのにふらつきがない。あれ、それに補助輪も見当たらない。そうか、補助輪なしで乗れるようになったことを爺婆に見せたくて送ってきたのか、と思った。

 車の来ない道を繰り返し往復している。そのうち音楽が入り、孫の顔のアップも入り出す。どうだとばかりに微笑んでいるのが頼もしく見える。けれどサドルは大分下げられている。安全を配慮した親の心遣いが透けて見えて微笑ましい。

 爺婆の子どもの頃は子供用自転車などまだなく、いやあっても高くて買えなかったことから、大人の自転車を三角乗りしたものだが、後ろをしっかり押さえてもらうなどして人の手を借り、練習に相当な日時を要した記憶がある。

 このあとサドルを上げ、片手運転などできるようになると、もうひと回り大きなものが欲しくなってくるのだろう、と思い始めた動画の終わりごろ、メッセージが入ってきた。次の自転車もお願いね、ですって。やっぱりと思うと同時にまあいいかと思って爺を見ると、爺もしっかりとそして何度も頷いていた。

(60代・女性)
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2019年04月29日    ※イラストはイメージです

よかったじゃない、人助け

442229.jpg 娘から電話がきた。近所の仲良し主婦さんから早朝連絡があり、都合が悪くて行けないから代わって行ってくれない?と。三歳の息子が毎朝9時に坂の下の市道脇に立ってバスに手を振るものだからそこまで手を引いて連れて行って、というものだった。

 そしていつもの時間のバスが来ると手を振り出す。すると振り返してくれる乗客もいたそうで、微笑ましい光景と映ったという。上り下りで四台ほど、時間にして三十分ほどで戻ったが、「かっくいかった」と言って満足な表情を見せてくれたという。よかったじゃない、人助けよ、と褒めてやると、たった一日だったけど、自分の子も同行させたのでその後バスに手を振るようになったほか、ショベルカーなどの工事用車を乗せたトラックになると激しくって、と言う。

 好きなことが広がったのね、それもいいじゃない、と続けてやると、さらに「かっくいい」の言葉も真似して言うようになって、というので、それもいいわね、新しい言葉を覚えられて。子供の成長期にはいろいろあるわよ、と言ってやると少し安心したらしく電話が切れた。

 思わぬことがきっかけの新たな体験の一つ、子供には微笑ましい出来事と思った。

(60代・女性)
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お隣さんの引っ越し

387381.jpg お隣さんが勤務地移動の為、引っ越しをする事となった。3軒続きの新築の一軒家を購入して8年目。娘さんが生まれ可愛くなってきたなと思ったら、8歳の娘さんも両親と一緒に引っ越しの挨拶に来た。飴をやっただけなのに「やったー」と喜ばれ最後にハイタッチをして別れた。本当に愛嬌のある娘さんだ。

 お隣さんが帰った時、何か無性に寂しい。大雪が降った日、私の娘と息子が庭にカマクラを作った。そのカマクラに娘さんを招待し大喜びした笑顔が今でも忘れられない。挨拶の日仕事で不在だった妻も引っ越し当日バームクーヘンを手土産にお隣さんとの別れを惜しんだ。また遊びに来ますと言ってくれた。今度会うときはお互いに環境が変わっていると思う。

 私にも可愛い孫ができ、あの可愛い娘さんもさぞや美人になっている事でしょう。4月は別れの季節とは言え仲良くしていたのに別れは寂しい。新年号が発表された日に引っ越し。私が仕事から帰ると引っ越しは終了し家に灯りはなかった。引っ越し先で幸多かれを祈る。

(60代・男性)
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母の服を着ています

 私が身につけているものの多くは母のお下がりか、通販で買ったもの。22歳の年齢差がある母が選んだ服やバッグでも、何ら遜色はない。おしゃれね〜、といわれるのが常。洋服、バッグ、アクセサリー、帽子に至るまで母のお下がりを持っている。

 母がそもそもおしゃれで、大の買い物好き。いらなくなったら私に回って来るから、私は買い求めることもないのである。サイズが合うのでありがたい。母親の服を着ていると気づく人はまずいない。どこで買ったの、と聞いてきて真実にびっくりされる。

 最近は通販が充実していて、買い物きらいの私も、これなら気兼ねなく買い物を楽しめている。それにしても、私の買い物きらいのルーツはどこにあるのだろう。祖母も買い物をしない人だった。祖父は母と同じく大の買い物好きだった。はたして私は祖母の隔世遺伝かしら。

513137.jpg 買い物好きの母は幼い私をよく買い物に連れて行った。喜んで同行したものだが、だんだん子ども心にも苦痛になってきた。何しろ母の買い物は長い。選ぶ時間も歩く距離も。商店街を端から端まで、デパートなら上へ下へと1日中過ごす。帰宅したら私も母も足が棒になって疲労困憊。そんな日の絵日記をいくつも描いた記憶がある。

 母と娘の同行買い物風景は中学時代まで続いた。母は今も洋服の買い物が好き。回数はめっきり減ったが、体調のいい時には一緒に出かける。押し車で洋服の間を見て回る母はもうすぐ卒寿。

(60代・女性)
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2019年03月09日    ※イラストはイメージです

娘の誕生祝いでの食事会にて

 今年も雛祭りがやってくる。私が仕事から帰宅すると娘の雛人形が綺麗に飾ってあった。その隣に妻の雛人形が申し訳なさそうに置いてあった。もう50数年前の雛人形。大分年季が入ってきたが妻には愛着があるのだろう。娘の誕生日は3月2日。雛祭りの1日前に娘は生まれた。

458975.jpg 3月1日に娘が帰省して当日夜会社の寮に帰るので一日早い誕生祝いをした。息子は社会人となり初めて姉の誕生日。奮発してブランド品の財布を姉にプレゼントした。私は娘の為に手巻き寿司の材料を準備した。幼いころの娘は「じじ、いくらのお寿司が食べたいの」と私の父にいくら寿司をねだり、寿司屋で食べさせてもらっていた。その後病気で寝たきりになった親父だが、その時が親父には一番幸せな時間だっただろう。

 帰省すると私の両親の仏壇に線香をあげる娘。私の両親の葬儀で一番悲しんだのは娘だった。良い祖父母だったんだろうな。

 夕食は家で手巻き寿司で誕生祝いを兼ねた食事会が開催された、息子の提案で「お父さんの失敗体験」がテーマとなり家族から私の失敗エピソードが出るわ出るわ、間抜けな失敗ばかりで赤面したが皆は大爆笑。楽しいからまーいいか。笑いながら娘がいくらの寿司を食べる姿を見ると、娘の隣で親父も楽しそうに笑っている気がした。

(60代・男性)



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